第2回目英作課題
                                               前頁
(道後温泉)
1 ここでの滞在時間は1時間です。ここには駐車場がありませんので、バスはここから移動します。皆さんはこの降りた同じ場所に11:45までに帰ってきてください。それから私が運転手に電話してバスを呼びます。
2 ここ道後温泉での滞在時間は1時間です。バスを降りたらまず私についてきてください。道後温泉の本館まで私が案内します。そこで私から簡単ですが説明を行います。そのあとは自由時間とします。周りを自由に散策して下さい。
3 この道後温泉には古来数多くの皇族の人々が訪ねておられますが、中でも、ある記録によれば、聖徳太子が来湯されています。聖徳太子は日本の歴史上600年ころの人で、女帝推古天皇の摂政を務めた人です。604年に日本初となる憲法を制定しています。596年にお供を連れてこの地を訪れ、入浴されたそうです。この温泉の素晴らしさをたたえた詩を残されています。その時椿の花が咲いていました。今椿の花は松山市のシンボルの花となっています。
4 高知県の人口は日本全体の0.6%で1%未満です。その意味では全国に47ある都道府県中ごく小さな県です。けれども私ども一般の日本人にとって高知県の持つ印象度はそれより随分大きいです。それはなぜだろうかと思うのですが、一つには、歴史的に見てこの地から日本の近代化に貢献した優秀な人材が輩出されたからだと思います。
5 まず最初に坂本龍馬についてお話します。彼は江戸時代の後期の1838年に下級武士の子供として生まれています。彼は若くして33歳でこの世を去りました。しかし、日本の政治的な近代化に大きく貢献した人物です。日本では約150年前に明治維新という、政治改革がありました。これは、比較的に平和裏に、そして成功裏に行われた改革でした。もし龍馬がいなければ違った展開になったかもしれません。19世紀半ばになると外交政策をめぐり、国論が分かれ、混乱していました。当時の日本は全体の政治権力は徳川幕府が持っていましたが、日本の各地は藩に分かれて統治されていました。その中に長州と薩摩という力のある二藩がありましたが、互いに反目していました。しかし龍馬の手助けもあり、この二藩が手を組み、徳川政府に対抗できる勢力となりました。これが、徳川将軍体制の崩壊につながり、新しい明治という時代を迎えたのです。そこから日本の近代化が始まりました。龍馬は新しい時代を迎える前に、京都で暗殺されました。当時国論がわかれる中で敵も多かったのです。 彼の名前を知らない大人の日本人はいないと思います。彼は国民的英雄なのです。
6 次にお話したいのは中浜万次郎です。彼は漁師の息子でしたが、若い時に海で海難事故にあっています。アメリカの捕鯨船に助けられ、アメリカに行き、そこで教育を受けています。当時の日本人は外国へ行くことも外国から帰ってくることも認められていませんでした。17世紀から19世紀半ばまで日本は鎖国政策をとっていました。これは日本が西欧各国から侵略されないようにするためであり、又外国と交易する権限を各地の領主から奪うことでこれら領主を支配することを目的としていました。そうした状況下で、彼は成人した後、すぐに帰国するということにはならなかったのです。しかし時代は変わり、幕府は鎖国政策を廃止したのです。開国を促したアメリカのぺリー提督の来航がきっかけとなりました。帰国後、当時としては珍しく英語が話せたということで、万次郎は重要な役割を果たしました。最初の頃は日米ではオランダ語の通訳を介して交渉をしていたと言われています。万次郎は最初にネクタイをしめた日本人だと言われています。
7 今日は室戸に向かいます。室戸は高知から85キロメートル南東にあり、人口14,000未満で、国内でも最も人口の少ない市の一つです。今ここは、ジオパークの立場から注目されています。市内で22か所のジオサイトがあり、2008年に「日本ジオパーク」に、2011年に「世界ジオパーク」に認定されています。つまり、この地の自然、文化、歴史、産業、人々の暮らしが世界的な観点から価値あるものとして評価されてきたということです。新しい時代が室戸にやってきたと言えます。
8 室戸の陸地は今から13万年前には海底にありました。室戸岬から140キロメートル沖に出ると南海トラフと呼ばれる海溝に行きつきます。深さは4,000〜4,400メートルとなります。海底のこの場所で二つのプレート、大陸プレートと海洋プレート、が出会っています。で、プレートはゆっくりですが動いており、海洋プレートが大陸プレートの下に潜り込んでいます。一年に4〜6CM動いています。この時海底にたまっている堆積物がはがされて大陸プレートの上に置かれてます。そして、海洋プレートが大陸プレートの下に潜り込んでゆくために、大陸プレートにたまった堆積物は上方へ押し上げられてゆき、長い時間をかけて、やがて地上にあらわれてくるという仕組みになっています。今もこの運動は続いています。
9 ここが御厨窟(みくろど)です。現在は内部が崩れる可能性があるので中に入ることができません。写真を撮るだけにして下さい。今から約1200年前の9世紀の前半、この室戸岬で仏教修行をすると当時19歳の若き弘法大師が決意したのでした。彼は京都の大学で仏教を学んでいたのですが、学問の世界でその道を追求するのは自分に合わないと思い、荒野の中で修行する道を選んだのです。そうして室戸にやってきたのです。そして瞑想する洞窟をここで見つけたのです。ある日洞窟の中で瞑想している時、彼の口の中に星が飛び込んできて、その瞬間悟りを得たと伝えられています。その時に彼が見たのは空と海でした。それ以外は何も見えませんでした。その時以来、自分の名前を空海としたそうです。弘法大師というのは、彼の没後、時の天皇陛下から賜った名前です。
10 高知県は太平洋に面していますから海の幸に恵まれています。中でも最も有名なのがカツオだと思います。このカツオの食べ方について高知ではちょっとかわった食べ方があります。それはタタキという食べ方です。魚の切り身の表面をちょっとの短いあいだ藁を燃やした炎であぶるのです。そしてそれを薄く切り、ニンニク等を混ぜたタレにつけて食べます。これは一種の刺身ですね。実は昔江戸時代にこの地方で疫病がはやったのです。で、当時の役人がカツオを刺身で食べるのを禁じました。生で食べてはいけないとしたのです。だけど人々はカツオが食べたくで、あることを考えだしたのです。つまり、魚の肉の表面を短時間ながら焼くといことを思いついたのです。これなら、生肉ではないと言えます。ですが、味の方は人々も不安だったと思います。けれども、結果的には、味はわるくなかったのです。それ以来今日までこのタタキという食べ方が続いているわけです。
あと一つのカツオの使い方は「カツオ節」ですね。削ったかつおぶしを豆腐などの食物の上
にふりかけて食べることができます。が、一番の使い方は日本料理のお汁のだしをとるのに
使います。日本料理にはなくてはならないものです。
11 もうすぐ最終の岸壁につきます。バスから降りるときには忘れ物をされませんように。忘れ物をしても次の寄港地(鹿児島)まで送り届けませんよ。忘れたら私が頂きますからね。(笑いが起こる)